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2025.07.13

  • 活動報告

多磨全生園の見学に行きました

みなさまこんにちは。教育課の土屋です。

先日、奉優会特養事業本部の新卒4・5年目職員を対象とした研修がありました。
教育課では、学べる事も多いのでは?ということで、研修に帯同させていただきました。

↑チームはるみ(1名不在)です↑




今回の研修では、東村山市にある多磨全生園と国立ハンセン病資料館に伺い、園内と資料館の見学をさせていただきました。

まずはじめに学芸員の方のお話を伺い、

その後資料館を見学させていただき、最後に多磨全生園の見学をさせていただきました。

みなさまはハンセン病はご存じですか?
ハンセン病はらい病とも呼ばれており、私はその病気の存在は知っていましたが、どんな病気なのか、今まで何があったのか全く知りませんでした。

1907年、癩(らい)予防ニ関スル件という法律ができ、ハンセン病(らい病)にかかった人は強制的に各地にある療養所に入所させられることになりました。その療養所の1つが多磨全生園です。療養所は他にも日本各地に15か所(私立、閉鎖された物含)あります。
その後1931年にらい予防法ができ、患者の隔離を法的に強化・正当化しました。
療養所の中の環境は悪く、狭い部屋に雑魚寝をしたり、元気な患者が症状の重い患者の世話をすることもあったそうです。
そんな場所にハンセン病になった人は強制的に療養所に入所させられ、拒む人には説得をしたそうです。
実際は感染力がほとんどないものの、
・原因不明の不治の病として恐れられていたこと
・感染力が高いと誤って信じられていたこと
・皮膚の変化、手足の変形などが目に見えるため、忌み嫌われたこと
などから、うつると勘違いされ、また政府の隔離政策の後押しもあり、ハンセン病患者の方は差別を受けました。「家族にハンセン病患者がいるというのは言ってはいけない」「家との縁を切り、違う名前で療養所に入所する」ということもあったとのことでした。

今回見学させていただき、ハンセン病について深く知る事ができました。
私が一番心に残っているのは、ハンセン病患者を父に持つ娘さんが、旦那さんから「病気の父親の子をもらってやったのに」と暴力を受けた、という話です。
ハンセン病について正しく理解して/されていれば、政府がハンセン病の人は差別してよいという空気を作らなければ、ハンセン病患者の家族としてまとめられ差別されなければ、このようなことにはならなかったはずです。

私は日々利用者の皆様と関わっていますが、「この病気の方はみんなこうだから」「こういうタイプの方はこうだから」と決めつけてはいないかな?と振り返る機会となりました。
属性やご病気で決めつけず、その方お一人お一人と深くかかわる、知っていくことが大事であると改めて感じました。
他にもこの見学で感じた様々なことを今後に生かしてまいります。

お読みいただきありがとうございました。

教育課 土屋

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