遠方の兄、近くの私。深まる介護の溝
「施設」か「在宅」か。その二択の先に、家族の笑顔を取り戻す道があった
遠方の兄、近くの私。深まる介護の溝
「施設に入れればいいじゃないか。俺は遠くにいるんだからさ」電話越しに聞こえる兄ののんきな声に、田中誠(55)は奥歯を噛み締めた。東京都練馬区の自宅から、82歳になる母の家までは徒歩15分。近くに住んでいるからと、誠は週に3回、仕事帰りに母の様子を見に行っている。
遠方の兄は口を出すだけで金も手も出さない。
「自分ばかりが負担している」という不公平感が、じわじわと誠の心を蝕んでいた。
だからといって、母に施設を勧めると「私は最期までこの家にいたい」と泣かれてしまう。
兄との板挟み、母を説得できない無力感、そして何より
という罪悪感が、誠の肩に重くのしかかっていた。
限界の先に、見つけた「あいだの場所」
そんなある夜、ついに恐れていた事態が起きた。母が夜中にトイレで転倒し、救急搬送されたのだ。
幸い軽傷で済んだものの、退院が決まった日に誠は痛感した。
途方に暮れる中、自治体の地域包括支援センターで手渡された一枚のチラシを思い出す。そこに書かれていたのが、「小規模多機能型居宅介護(小多機)」だった。
相談員は優しく誠に説明してくれた。
さっそく見学に訪れた小多機は、施設というよりも「温かくほっとできる場所」のようだった。
ここなら、母を自宅から引き離すことなく、プロの手を借りることができる。
夫婦の笑顔を取り戻す安心感
利用を始めて3ヶ月。母は昼間、小多機でリハビリを兼ねたレクリエーションを楽しみ、夕方には嬉しそうに自分の家に帰ってくる。
夜間の転倒リスクがある日や、誠の仕事が詰まっている時は「泊まり」を柔軟に組み合わせることで、誠自身の負担も劇的に減った。
久しぶりに兄に電話をかけた。
初めて兄から労いの言葉をかけられ、誠の胸のつかえがすっと消えていった。
母の気持ちも、家族の限界も、どちらかを犠牲にする必要なんてなかったんだ。誠は夕暮れの帰り道を、久しぶりに軽い足取りで歩き始めた。